無くなった母は何にでも砂糖をかけて食べる人だった、トマトやスイカもね(>_<)

同じマンションの人と夕方の散歩の時に出会った。

この人のお母さんが認知症で、彼女が介護をしている。

でも、まだお仕事をしているので、毎日介護施設に通ってもらっている。

毎日デイサービスだと、費用が介護認定のだけじゃ足りないんだろうなと思う。

まっ、認知症になったお母さんの年金もあるし、彼女も働いているからね。

私の場合はそうはいかなかった。
60歳で定年で、その時の年金が私は月に47000円。
母は国民年金を60歳で繰り上げしたので月に30000円ほど。
二人合わせて77000円"(-""-)"

暮らせないよね。
そして、すぐに母が認知症に。

知り合いの紹介でデイサービスへ。

その前には、熱中症で入院騒ぎ。

お金は私の少ない貯金から取り崩し。

今、母が亡くなって、私の貯金は底をついている。

母の世代はいいのよね。
まだ、子供が面倒を看るから、でも私の時はどうしよう。

今、ジャンボ宝くじが発売されている。

当たらないかな(笑)

母のことで、思い出したことがある。

お昼にトマトを食べながら思い出したのよ。

母は大正11年生まれ、家は昔は庄屋だとか言ったらしいし、母の上の方の姉たちは子守が付いていたとか。
でも、母と、母のすぐ下の妹の時代には、傾いて貧乏のどん底だったらしい。
そして、両親とも早くに亡くなって。
上の方のお姉さんの親戚のお世話になったとか。

だから、砂糖とかは貴重品だったのかな。

トマトの皮をむいて、砂糖をかけて食べていた。
同じようにスイカも砂糖をつけて食べていた。

私からしたら、気持ち悪かったわ。

何を作っても、砂糖が沢山。

酢の物を作っても、べっちょりと変な甘さがあって食べられなかった。

母は学校は尋常小学校だけ。
文字もろくにかけないで、平仮名とカタカナ交じりで文章にはならないもの。

自分がそんなだから子供には教育をと普通なら思うでしょうけれど、母は何も考えなかった。

子供の頃、よそのお母さんが、手作りのおやつや服を作ってくれるのがうらやましかった。

よそのお母さんは高等女学校卒の人が多かった。
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子供のために一生懸命というのが伝わってきたもの。

我が母は、父と合わずに喧嘩ばかり、ぐちばかり、お前たちが(4歳上の姉、と私)がいなければわかれていたとか。

子供心によそがうらやましかったわ"(-""-)"

そんな母が認知症になり、面倒を見ている私の名前はわからずに、早死にした姉の名前や自分の妹の名前を言っていた。

面倒見ている私は何なんだろうかと。

まぁ、それもこれも、終わってみれば、どうでもいいわ。

もう、4年前の7月に終わったからね。

今は、チワワの楽と楽しく暮らしている。

でもさ、少しでも気持ちがあるのなら、宝くじ当ててよね。

家は家族4人、そして、私は父、姉、母と3人を送り出したのよ。

後は自分だけれど、これは自分で看取るわけにはいかないし、まぁ、どうにかなるでしょう。

でも繰り返すけれど、無くなったお金、宝くじで返してね(笑)
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